ちーころの日記

2児の母 普通の主婦です

前夫の自死に向き合う 20

私は生きて今日で42歳になりました。

前夫の自死について書き始めてからは

今日で20回目になりました。

 

書き始めの頃は

思い出すだけであの時の悲しみと絶望に襲われ

5回目のあたりで心の限界を感じ

書くことを休もうと思いました。

 

ちょうどその日は

私がずっと続けている心の学びの講座の日でした。

そこで先生が「ブログ読んでます」と言ってくれたり、学びの仲間が「次の更新待ってるよ」と言ってくれて、一切批評されることなく、寄り添ってもらえたことで

また書いてみようという気持ちになれて今日まで続けてくることができました。

書いていくことで出来事に対する捉え方や現実の捉え方がどう変化したかを講座の中で探究することもできました。

 

21〜を書くかどうかはまだ決めていませんが

私が学んでいることを日常でどのように活かし

どんな子育てをしているか

パートナーシップや日々の出来事や感じたことなど

私が表現してみたいと思うことをこれからも大切に綴っていきたいと思っています。

 

現在の夫は私と初婚なので

未亡人と再婚って嫌じゃないのかとたずねたことがありますが、夫は全く気にならないようでした。

私が逆の立場だったら、超気になります…

 

先日

「なんで訳ありな私と結婚しようと思ったの?」

と聞いてみたら

夫「?」 (何の話かわからない感じ)

私「私、前の旦那さん亡くなってるじゃん」

夫「あれ!そういえばそうだった、あはは」 

忘れていたようです。

 

私「高野家(夫の実家)に言わないでいてくれてるのは

どうして?」

夫「言う必要ある?」

わざわざ言うことではないと。

そう言い切ってくれることに安心しました。

 

話せていないことにずっと罪悪感がありましたが

夫がそう言ってくれるならそれでいいのだと

責められたらどうしようと怯えなくていいんだと

もっと自分に優しくしてあげたいです。

 

私が重く深刻に捉えていることを

夫は深刻に捉えていなくて

考え方の差異から学ぶこと、救われることもあるんだと思いました。

 

まずは自分が幸せでいられるように

今までしてこなかった本当にやってみたいことを見つけていきたいです。

 

前夫の自死に向き合う 19

【命日が怖い】

 

命日と月命日は

これまでここに綴ってきた辛い出来事が一気に蘇り

大きな波にのまれるような感覚に陥ります。

 

波にのまれたときのように

息ができない苦しさや恐怖の中で辛抱し

日付が翌日に変わるのをじっと待つ

重く長い一日です。

 

命日と同じ時刻を表示した時計

命日と同じ日付が印刷された賞味期限

命日と同じ日付の催事や広告

命日と同じナンバーの車

命日が数字で目に入るだけでも

瞬時にあの日々に直結して

体が硬直し息ができなくなります。

 

いつ目にするか予測ができないので

回避することはできず

気にしないようにするとか

考えないようにするということは不可能で

ただただ苦しむことしかできず

 

他にも

住んでいた地名

その地名を表示した高速道路の看板

「死」「自殺」「吊る」という響き

テレビやネットの画面に表示されるそれらの文字

報道やドラマのお葬式の光景

死体が出てくる漫画

垂れ下がった紐、ロープ、首に何か巻いてる人形

葬儀場、霊柩車、礼服を着た人

セレモニー服売り場、数珠、お墓

人の寝顔、横たわる人体

目にすると息ができなくなるものは

日常にたくさんあって

どこに地雷があるかわからない怖さのなかで

ずっと生きていたので

自分が何に反応して苦しくなるのかということを

うやむやにせず書き出してみました。

 

書いて書いて自分を客観視することで

それがどんなに苦しい出来事であっても

自分を離れたところから見ることができ

書くということは

感情を持たない状態になれる

ということを体感しているところです。

 

これからは

怖いと感じている自分をダメだと思わず

怖いと感じている自分に

「息ができないね、苦しいね。怖いね。

 あれほどのことがあったんだから当然だよ」

と自分に自分で寄り添ってあげようと思います。

 

このような向き合い方ができるようになれたのは

私の先生に

怖いと感じている私に共感をしてもらい

寄り添ってもらうということを

繰り返し繰り返し経験させてもらえたことで

自分が自分にそうしていけるようになってきたのだと思います。

 

前夫の自死に向き合う 18

【40年の呪縛に気付く】

 

呪縛なんて書くと恐ろしいですが

心理的な自由が奪われていたという意味では

呪縛という言葉がしっくりきます。

  

同じ思想を持つ人となら幸せになれる…

同じ思想ではない人と結婚したら、不幸になる

 

そう信じて、疑うということをしませんでした。

 

私は小さい頃から

母親に抵抗することができず

着る服も、髪型も、夢も、全て母が決め

こう質問されたらこう答えなさいと

母に言われた通りの言葉を遣い

 

言われた通りにすると母は安心したので

いつしか、従順に生きることが

親孝行になるのだと思うようになりました。

 

そして自分の意思を持たなくすることで

大切な進路も

結婚相手までも

自分で決めることができなくなっていました。

 

 

今日は心の学びの講座の個人コンサルでした。

私が心待ちにしている時間です。

先生は

「このブログに書いていることを

 誰かに話したことはありますか?」

と私に尋ねました。

ここまで自分の気持ちを言葉にして開示をしたのは

このブログが初めてで、

全てを聴いてもらった経験はありません。

 

 

先生は、宗教の是非を論じることなく

私の歩んできた道のりは

立派だったと 

寄り添ってくれました。

 

私はようやく、自分軸で生きていけるようになった慶びを感じています。

前回のコンサルは終始泣きっぱなしでしたが

今日のコンサルはうららかな門出となりました🌸

 

前夫の自死に向き合う 17

【再就職】

 

看護師の資格があったおかげで

幸い求人はすぐに見つかりました。

 

履歴書を見ながら師長さんが

准看護師のときはこんなに長く勤めたのに、

 正看になって就職した病院は

 3ヶ月で辞めてしまったのはどうして? 

 大学病院は大変だった?」

と私に優しく尋ねました。

 

 「結婚して転居して就職したのですが

 夫が急死して…

 思い出の残る土地にいるのが辛くて

 地元に戻ってきました」

私の小さな声がどんどん小さくなっていくのが自分でもわかりました。

私が「急死」と言う言葉を発した瞬間、

私の前に座っていた5人の面接担当者全員が

一瞬硬直したのを感じました。

 

師長さんはお花のように優しい方でした。

初出勤の日、そっと呼ばれて

「ここはね、おしゃべり好きな人が多いの。

 ご主人を亡くされているって知ったら

 みんなに根掘り葉掘り聞かれて辛くなると思う。

 だからただの独身てことにしましょう」

と言って

「何かあればメールしてね」と

携帯のメールアドレスを交換してくれました。

そして高そうなピオーネをくれました。

面接の日に着ていた7号サイズのスーツがブカブカ

ベルトをしてもウエストが落ちてしまい

見えない部分を洗濯バサミで留めていました。

それくらい痩せ細っていたので

私に何か食べさてあげようと

美味しくて口当たりのよいピオーネを

買ってきてくれたのかもしれません。

 

ひと粒食べたらものすごく美味しくて

こんなに美味しいものを

私がひとりで食べるのはもったいなくて

食欲がないと言っていた母にも食べさせてあげようと

実家にお裾分けしに行きました。

美味しく食べてもらえたかなと

翌日母に電話をすると

「あぁ、そういえば食べたかな」

というなんともがっかりな反応でした。

 

私は、父や母と「美味しいぶどうだったね」と

交わしたかったのです。

 

食べられない日が続いていた私にとっては

美味しいと感じられることが稀有だっただけに

「あんな反応されるならひとりで食べればよかった」

と母に対して意地の悪いことを思ってしまいました。

 

私は看護師がやりたいというよりも

毎月安定した収入が必要でした。

数年前に35年で組んだ住宅ローンがあったからです。

(両親を綺麗な家に住ませてあげたくて28歳で新築の建売住宅を購入しました。頭金などなかったので全額借り入れました)

 

看護師として働いていると

あの日を思い出す出来事に度々遭遇しました。

心肺蘇生や臨終に立ち会うこと

何かの数字が命日と同じというだけでも

窒息しているような苦しさに襲われました。

 泣きたい 息が苦しい   

いつもそんなことで頭がいっぱいでした。

 

前夫の自死に向き合う 16

【地元に帰る】

 

四十九日にお兄さんと一緒のお墓へ納骨、

それから間もなく初盆になりました。

 

初盆の片付けをしていると

お義母さんから

「もう自由にしていいからね。

 ここにはもう来なくていい」

と話がありました。

お義母さんは真剣でした。

 

そのことを仲人の友人に話すと

「初盆の片付けってそんな手伝いまでしてきたの?!

 もう行かなくていいよ、地元に帰りな」と

彼女は舌鋒鋭いけど

私を守りたい、これ以上不幸にさせたくない

と心の中で切実に願うような

私にはない美しい純粋さがありました。

 

ちょこちょこ電話をくれた師長さんや

私と深呼吸をしてくれる心療内科の先生からも

「慣れた土地で生活する方がいい」

と勧められました。

 

私が信頼できる方たちが声を揃えて

地元に帰るようにと言うならそうしようと

一生働こうと思って就職した病院を3ヶ月で退職し

地元に帰ることにしました。

 

葬儀のあと、ひとりで過ごす夜があまりにも辛く

一度だけ実家に帰ったことがありました。

積極的に帰らなかったのは、

実家は針のむしろだろうという気がしたからです。

実際は想像以上に酷いものでした。

母は髪はボサボサ、寝巻きのままで

布団を敷いて寝込んでいました。

震えた声で

「あぁもうだめだ…」

と布団の中でうずくまって見せたり

「食欲がなくて食べられない」

「周りにどうゆう目で見られるか…」

などと言いながら

子供のように肩を震わせて

私の前でひっくひっくと泣きました。

 

「誰もお母さんを責めたりしないよ。

 今まで通り生きていて大丈夫だよ」

と励ましました。

 

母親がここまでメソメソ落ち込む姿を見ることになるなら私は帰らなかったし

私を元気にしてとは言わないから

せめて起きていてほしかった。

母が私の不幸を自身の不幸にして力を落としているのも理解できたので母のことは責めませんが、

私と母は共依存のような、歪んだ親子関係になっていると感じました。

私は実家には住まずに

母親とは距離をおいた方がお互いのためだと思い

アパートを探しはじめました。

 

いいなと思う物件が2件ありました。

1件目は家賃が予算内。

2件目は1件目より5,000円高かったけど

白い壁のかわいい内装にときめきました。

一生懸命働くし節約もするからここに住みたいと

高い方に決めました。

 

通り慣れた道路、私が好きな近道、

行き慣れたスーパー、変わらない住宅街

見慣れた光景がおかえりと言ってくれているようで

30年住んだ場所はこんなにも安心できるのかと

地元に帰ると決めたことは正解だったと思いました。

 

前夫の自死に向き合う 15

【海に行かない?】

 

「明日、旦那と海に行くんだけど

 一緒に行かない?」

看護学校の友達が連絡をくれました。

 

この海のお誘いがとても嬉しかった。

 

日中は弔問客の対応、夜は真っ暗のアパートに帰ることの繰り返しだった私は海に行ってみたくなりました。

 

でも海に遊びに行くなんて不謹慎な気がしたので

お義父さんとお義母さんには

「明日はお休みします」とだけ伝えました。

お義父さんもお義母さんも毎日私と一緒に過ごすうちに娘のように可愛がってくれるようになり、

私の心労も心配していたので海に行きたいと言えば快く送り出してくれたと思うのですが

周囲からは奥さんは遊んでいて悲しんでないと

また責められるような気がして言えなかったのです。

行き先は海だけど

自分を休ませてあげたいというのは

嘘ではなく本心でした。

 

昨日はブログの更新を休んで

娘と近所の子にミシンでお揃いのシュシュや

ヘアバンドを作っていました。

ブログの更新を休んでみたら

そういえば実家に行くのを休んで

海に行ったことがあったなと

この出来事を思い出しました。

 

私は趣味でサーフィンをしていたので

海や波が大好きでした。

泳げない初心者でしたが

何時間でも海に浮いて波を待つチャレンジャーでした。

 

友達やこ主人たちはみんな

砂浜でぼーっとしているだけの私を

丸ごとあたたかく受け入れてくれた感じがしました。

海から出てくると

 「何飲む?」

「お腹空かない?」

と話しかけてくれて

また自由に海に入りに行く

私はそれを砂浜からぼーっと眺める

そんな距離感が心地よくて

海に来てよかった

この子の誘いを断らなくてよかった

と思いました。

 

この友達たちは夫のことには一切触れず

もちろん悲しんでないだなどと言うこともなく

私を夫を亡くした人としてではなく

私を尊厳あるひとりの人として接してくれました。

この時こんな風に感じたということは

私は普通に接してもらいたかった、

普通に優しくしてほしかったのだと思います。

 

私に連絡をくれる人は

夫の死について聞き出そうとする人

そうではなく普通に接してくれる人

このどちらかに

はっきりとわかれていきました。

 

この友達にはいつか

あの時海に連れ出してもらえたことが

すごく嬉しかったと

改めて伝えたいと思っています。 

 

前夫の自死に向き合う 14

【はじめてのメンタルクリニック

 

ご両親がお兄さんの時の経験から

葬儀後もしばらくの間は弔問客が来るだろうと仰っていたので

私は朝起きると車で15分くらいの実家へ向かい

弔問客の対応をして

1日が終わるとLサイズの額に入った遺影を持って

静まり返ったアパートに戻る

という生活を初盆が終わるまで毎日繰り返していました。

 

はじめてひとりでアパートに帰ったとき

看護学校の友達が電話をくれました。

現実を受け止められなかった私は怖くて中に入れず

彼女に

「今アパートに着いたんだけど、中に入るのが怖いから電話を繋いだままにしておいてほしい」

とお願いして友達と耳元で繋がっている状態にして

いつでも彼女の声が返ってくることを頼りに玄関を開けました。

彼女はこのことを覚えているかわからないけれど

私は彼女がいなかったらひとりではアパートに入れませんでした。

 

弔問客には、私が妻であることを伝える度に

妻と言っても夫は生きてない

なんて短い婚姻生活だったんだろうと

胸にあいた穴はどんどん深くなっていきました。

 

「あなたが奥さんなのね、

   亡くなる前は何か変わった様子はあったの?」

「普段の血圧はいくつだったの?」

 

死因が脳出血だと思っている人からは、

血圧や普段の様子を質問されました。

夫の血圧を把握しているのが当然の前提で聞かれるのですが

私は自分の血圧でさえ、だいたいしかわかりません。

「そんなに高くなかったと思います…」

と答えると

「うちのパパ血圧高いから心配で。

   こんな突然亡くなるなんて怖くなっちゃって」 

 

突然の訃報に不安が募ってしまうのだろうけど

あなたのご主人は今、生きてるじゃない。

ご主人が生きているというだけで

羨ましいと思いました。

 

「見守ってくれてるよ」

よく言われたこの言葉も、私は嫌でした。

どこにも見えないし気配も感じない

見守ってくれるくらいなら

死なないでほしかった。

 

どんな言葉も辛くなるやりとりを

弔問客の数だけ

乗り越えなければなりませんでした。

 

仕事はずっと休んでおり

師長が電話をくれて、メンタルクリニックを受診するようすすめられました。

受診しても楽になれる気はしなかったので

行かないでいると

「あなたは今、普通の状態じゃないのよ」と

受診したかを確認する電話をくれるようになり

師長さんを安心させてあげたくて

近くのメンタルクリニックに足を運びました。

 

心の診療科にかかるのは初めてでした。

院内は静かな雰囲気で

待合室には入れ墨の入った男性が座っていました。

入れ墨が入っていると無敵に見えるけど

悩みごともあるんだな…と思いました。

 

問診票の、今日はどうされましたか?の欄に

「先月夫を亡くしました」

と書きました。

診察室に入ると医師は緊張した様子で

私にかける言葉が出てこず困っているように見えてしまいました。

稀なケースだもんね、なんて言ったらいいか戸惑っちゃうよね、

なんか余計辛くなっちゃったな、

行かなくても良かったなと思いました。

 

処方された薬を飲んでみましたが

私は薬を飲んだのか?と思うほど

何も変わりませんでした。

今、同じ薬を飲んだら眠くなったりぼーっとしたりするのかもしれませんが。

 

占いに行ったこともありました。

私は薬が飲みたいのではなくて

どうしてこんなことが起こったのかを

知りたかったのです。

 

幻想的な部屋で

あでやかな装飾品をつけた占い師が

自身がどんなことを占えるか私に説明して

私が話す番になったようだったので

「夫を亡くして…」

と言ったら

「えーーー?!

  いつ?何で?病気?

  あなたまだ若いじゃない?お子さんは?」

 

普通のおばさんにしか見えなくなり

 

「すみません、やっぱり帰ります」

と言って幻想部屋を後にしました。

 

私の話をちゃんと聴いてくれる人っているのだろうか…

この頃から、今までとは違った視点で人を見るようになっていきました。

 

仲人となった友人も私を心配して

良い先生がいるからと、私を迎えに来て

私にとって2ヶ所目となる心の診療科を案内してくれました。

問診票を書くとき、隣から

「カウンセリングを受けたいって書きな」と言われ

そのように書きました。

 

"診察室にセラピー犬がいます。

  苦手な方はお申し出ください"

との表示があり

私は動物が大の苦手なので

問診票に「動物は苦手です」と追記しました。

 

この2ヶ所目の先生は

診察のはじめに必ず私と一緒に深呼吸をしてくれました。

薬を処方してもらうより

先生と一緒に深呼吸できることが心の支えとなり

私はそこから先生のところへ通うようになりました。

私の診察になると 

毎回セラピー犬を外に出してくれました。

たまに中へ入ってきてしまい

私の足元にシュルシュルっと来ることがあって

ギャアァァ!となりました。

 

もう何年も行っていませんが

私がここまで立ち直った姿を見たら先生も喜ばれるだろうと思います。