死生観

癌で闘病していた同級生が

亡くなったとの知らせが

妹さんから届きました。

 

死って、あっけない。

前夫を亡くした時そう感じました。

 

看護師時代に看取ってきた

患者さんの死は

あっけない

という感覚とは違う感覚だったので

 

配偶者という

一番近い身内の死だから感じた

特殊な感覚なのかと思っていましたが

やはり

死ってあっけないと思いました。

 

その人の声や発する言葉

その人の考えや気持ちを聴く

 

それまで当たり前にできていたことが

できなくなる。

 

遺された人たちは

「享年」「生前」

という言葉を使いますが

 

そのような言葉は

引き離されるような感覚があって

わたしはちょっと苦手です。

 

みんなの心の中で生き続けているのに

ついさっきまで息をしていたのに

言葉の持つ力に身構えてしまいます。

 

わたしの同級生が

ご家族に囲まれて

棺の蓋を閉まる時

お父さんが最後まで

彼女の顔から目を離すことができませんでした。

 

お母さんや妹さんが

「お父さん、そろそろ…」

と促しても

 

お父さんはその声も耳に入らず

棺の中の彼女が

まだ眠っているだけだとしか思えない様子で

蓋が閉まってゆく僅かな隙間からも

腰を曲げてずっと見つめていました。

 

闘病していた彼女の葬儀には

たくさんの人が集まり

たくさんの弔電が奉読され

みんなにこんなに愛されているんだと

彼女が生きている間に

伝える術があったら良かった。

 

葬儀場のロビーの一角に

彼女の好きなものが飾ってありました。

遺族の方が選んで置いてくれた

アルバムの中には

わたしと一緒に過ごした

学生時代の写真もたくさんありました。

 

実習先での集合写真

ジャージ姿のスポーツ大会の写真

ホットドックを売ったときの学校祭の写真

 

思い返すと

わたしが焼き増しして渡した写真でした。

卒業してからもずっと持っててくれたんだ…と

この写真を見て何を感じていたんだろうと

彼女に思いを馳せました。

 

渡したことも忘れていたくらい

何気なく渡した写真だったけど

 

こうして飾ってもらえることで

わたしは彼女から

死生観を考えさせられるほど

心が揺さぶられる影響を受け

 

人は死んでからも

影響を与え続けるんだと思いました。

 

4歳の娘

①お店でガッシャーン

フードコートで食事をしたとき。

 

返却口にトレーを返却するのに

4歳の次女が自分で戻そうと

小さな手でトレーを持ちました。

 

トレーには

少し食べ残しが残ったお皿と

お水の入ったコップ、

使用済みのお箸やお手拭きが乗っていました。

 

一緒について行って

落としそうになったら

手助けすれば良いから持たせてあげよう。

そう思って持たせた瞬間に

重たいお皿がトレーの上を

サーっと滑り落ちていくのがスローモーションで見えて

ガッシャーン!!

大きな音に

呼ばなくてもすぐにお店の方が来てくれました。

 

娘を見ると

真剣な表情で硬直していました。

 

私が「びっくりしたね」

と優しく声をかけると

静かに頷いて

床に散乱した食器を見つめていました。

 

私が「片付けしようね」と声をかけても

娘は片付けはしませんでしたが

私が片付けをする様子は見ていました。

 

こうゆうとき

お店の人に全部任せるのではなくて

自分で汚した床を拭くなど

後始末をする私の姿を見せることができたこと

そして

「何やってるの!」

などと責めたりせずに

「びっくりしたね」

と共感できたこと

 

このような関わりができるようになった自分に

母親として成長できたかな?と感じました。

 

大きな音を立ててしまったけど

周囲の視線は気になりませんでした。

 

お店の方が

「お手伝いしようと頑張ってくれたんだよね」

と言ってくれて

私の心の声を代弁してくれたようでした。

 

テーブルには

つゆの入ったラーメンの器がまだ残っていたので

「これ運んでみる?」

と尋ねると

「うん」と頷いたので

両手に持たせました。

 

今度は返却口まで持っていくことができ

ラーメンの器を自分の手で

返却口に置けた時の顔は

今まで見たことのない

キラキラとした、とても良い表情をしていました。

 

トレーを落とした娘を責めたり叱ったりしていたら

ラーメンの器は持てなかったか

持ったとしてもまた落としていたかもしれません。

 

今日も、幼児教育の大切さ

母親の在り方について考えさせられました。

 

②紅蓮華が弾きたいという娘


鬼滅の刃のオープニング

LiSAさんの「紅蓮華」を

4歳の娘が弾きたいと言うので

ネットで調べました。

 

私にもなんとか読める楽譜があったので

お絵かき帳にカタカナで

ソファソ (強く〜)

ソファソ (なれる〜)

ソファミレ (理由を知った〜)

と書いてあげると

そのとおりに鍵盤を押すようになりました。

私が読めた楽譜はここまでです。

 

 

そして

「きめちゅのやいばの2ばんのさいごまでひきたい」

と言うようになりました。

 

「ピアノ習いたい?」とたずねると

「うん」と言うのですが

 

本当に習いたくて「うん」なのか

質問されて反射的に「うん」と言ったのか

そもそも習うということがわからないんじゃないか

とか

母としては安易に習い事をさせてよいものかわからず

でも興味を持ったことを伸ばしてあげたいので

近所のピアノ教室の体験レッスンに申し込んでみました。

 

 

③ピアノの体験レッスンを受ける

近所にピアノ教室を見つけ

4歳の次女を連れて体験レッスンに行きました。

 

幼児向けのテキストをやったり

大きなグランドピアノに座って

先生の横で鍵盤を押したり

私も目の前のグランドピアノにときめいて

このピアノで好きな曲を自在に弾くことができたら

どんなに素敵だろうと思いました。

 

帰宅後

体験レッスンはどうだったかたずねてみると

はじめは「楽しかった」と答えていたのですが

ぼそっと

「きめちゅ ひけなかった」

としょんぼりしたのです。

 

「鬼滅、弾けなかった」

これが本心なんだと思いました。

 

娘は、ピアノ教室に行ったら

紅蓮華が弾ける自分を

想像していたのだと思います。

 

4歳でも理想を持ち

意思があるのだということ

そして母親だからといって

子どもの気持ちが全てわかるわけではないんだなぁ

と感じました。

 

幼い頃、親や周りの大人にわかってもらえずに

小さな胸にしまい込んだことって

誰しもあると思うのですが

我が子も同じ思いをしているとしたら

少しでもそこに気付いて

寄り添ってあげられるお母さんでありたいです。

 

 

 

④時計の読み方

毎朝幼稚園バスの時間を気にする娘に

時計の読み方を教えようと思いました。

そうすれば本人が一番安心できると思ったのです。

 

「時計が読めるようになったらバスの時間もわかるようになるね」

と話すと

娘は「時計わかんないもん」と。

 

「読み方教えてあげるよ」

と伝えたのですが

「わかんないんだよ」

と返ってきました。

 

その「わかんないんだよ」の

声のトーン、表情から

 

「自分にはまだ難しいから教わりたくない」

と言っているように感じました。

 

なのですぐにこの話はやめました。

娘が楽しそうじゃないからです。

 

試しに小1の長女に

「時計の読み方教えてあげてくれる?」と

次女に教えてもらえないかお願いしてみました。

 

すると、目覚まし時計を持ってきて

長い針と短い針があること

針がここにきたら8時だなどと説明していて

次女は長女の隣で肩をくっつけて

時計を覗きながら一生懸命きいていました。

 

f:id:ci-coro:20220405223755j:image

 

説明した後

学校のプリントで習ったように

時計の絵をかいて

何時かを記入する問題を作り

妹にやらせていました。

 

なんでも母親の私が教育しなければと力まなくても

こうして長女を頼り

姉妹の絆を作ってあげることも

素敵な教育になりそうだと感じました。

 

 

⑤姉の時間割をそろえる 

最近、姉妹で協力し合うことが増え

長女(小1)が次女(年少)に

時間割表の見方

教科書のそろえ方を教え

次女が時間割そろえる係になっています。
 
長女は教える楽しさや

妹を信頼して任せることを学び

次女は任されるうれしさや

姉と同じことが自分にもできる

という自信になっているようです。
 
長女に、

次女は正確にそろえているのか尋ねたら

小声で「間違ってんだよねぇ」と苦笑いしました。


そろえ方が間違っていても

長女は次女を責めることはなく

時間割を手伝ってもらえることが

うれしいようです。
 
次女も

姉の教科書やランドセルに

触れられることがうれしいようで

小さいながらに協力し合う我が子を

誇りに思います。

 

⑥自分で名札をつける

f:id:ci-coro:20220405224346j:image

 

4歳(年少)の娘は

園服に毎朝名札をつけます。
 
これまでに娘は何度も

「自分でやる!」と言っては

うまくできなくて

「できない〜!」と泣きました。
 
「できなくて悔しいね」

と声をかけると

「悔しい〜!」

と言うようになり
 
こうゆう歯がゆい時の気持ちを

"悔しい" というのだと学べたかな?と

心の中で娘の成長を見守ってきました。
 
私のところへ名札を持ってきたときは

「お母さんがつけていいの?」

ときいて

「うん」

と言われてからつけました。
 
「自分でやりたかった〜!」

と泣くこともあるので、確認です。
 
そして私は

ピンのはずし方、刺し方、とじ方を

静かにゆっくり見せました。
 
娘がそれを真似するようになり

「外すのはできたから止めるのだけやって」

と、

できない部分をお願いしてくるようになりました。
 
私はお願いされたところだけ手伝い

これを数回繰り返すうちに

1人でできるようになりました。
 
曲がっていたり下の方についていたりしても

指摘せず

「自分でつけられたね」

「自分で出来るようになってどんな気持ち?」

と、声をかけると

「うれしい!」と笑顔で万歳しました。
 
毎朝

胸と肩につけることになっている2種類の名札を

1人で一生懸命つけています。
 
興味が出てきたら

裁縫やミシンに触れるのもいいなぁ

と思っています。

 

⑦電子レンジを使う

娘が

「焼きおにぎりが食べたい」

と言いました。


このときは

冷凍の焼きおにぎりのことを言ってました。

 

良い機会なので

電子レンジの使い方を教えることにしました。


まず冷凍庫から出すところからです。


私「焼きおにぎりはどこにあるかな?」

娘「ここ」(冷凍庫を開けて袋ごと取り出す)

私「いくつ食べたい?」

娘「1個」


娘は袋から焼きおにぎりを1個出しました。


電子レンジに使えるお皿を見せて

「これがレンジに使えるお皿だよ」

と説明しました。


娘は踏み台に乗って

焼きおにぎりの乗ったお皿を

レンジの真ん中に置きました。

 

「1分」と時間を設定

スタートボタンを押し

終了の音がしたら

自分でお皿を取り出しました。


以前、レンジから出すのをやりたいと言って

アチッとなった経験から

チンした直後のお皿は熱いと覚えていたようで

鍋つかみを使ってとり出しました。


どんな正論も、言ってきかせるより

本人が経験することが

何よりの学びになるのだと感じました。


娘は自分でチンした焼きおにぎりを

満足した様子で

美味しそうにほおばっていました。


こうしてそばで見守っているだけで

子どもはレンジ調理ができるのだと

うれしい発見でした。


ウインナーやハムを焼くのは何度もやっていて

毎回IHの火力調整を教えていたのですが

先日は慣れた手つきで調整し

焼き具合を見て皿に盛り

自分で食べていて驚きました。


いつまでも

火力調整の説明は必要ないのだと

子どもはどんどん成長して自立していくのだと

感じました。


「今度お母さんにお弁当作ってくれる?」

ときいてみたら

得意気に「いいよ!」と返事をしてくれました。


子供のやりたい気持ちを大切にして

楽しく関わっていけるお母さんになりたいです。

 

お財布の中のポイントカード

今までのお財布には

10枚以上のポイントカードが入っていました。

お財布に入れておかないと

いざ使うときに「あ!ない」ってなったり

あと少しで500円引になりそうとか

結局全部お財布に入れたままでした。

 

でも本当に頻繁に使うのは

クレジットカードくらいです。

 

思い切って

使用頻度の低いカードは持たないことにしました。

 

1枚のレジ袋

有料のレジ袋を購入

エコバックを忘れて

有料のレジ袋を購入することがあります。

 

先日、レジ袋を2枚

購入したけど

1枚で足りたことがありました。


ちょうど隣で、袋詰めしていた

ご高齢のおばあさんも

買ったものを

エコバッグにつめていたのですが


入りきらなそうだったので

わたしの余ったレジ袋を

「よかったら使ってください」

とお渡ししました。

 

「あらぁ、いいの?」

とうれしそうに受け取ってくれました。


わたしがにこっと頷いて

その場を去ろうとしたら

「お金払って買ったんでしょう?」

と呼び止めてくれたので

 

「わたしは袋足りているので

 大丈夫なんです♪」

と伝えると

本当にうれしそうな表情をなさっていました。


5円のレジ袋で

おばあさんの買ったものが袋づめできて

あたたかい心の通いを感じられて

おばあさんの

うれしそうな表情もみることができて

 

心からうれしくなりました。

f:id:ci-coro:20210126094110j:image

 

幼稚園バスで感じたこと

幼稚園バス

次女の幼稚園はバス送迎があります。

 

ありがたいことに

幼稚園バスが玄関前まで来てくれます。

 

毎朝、同じ時間に来てくれて

娘はバスに乗ると

座席からわたしに手を振り

 

午後も毎日同じ時間に送り届けてくれて

降りてくると娘は駆け寄ってきます。

 

小さな体で

わたしの元から離れ

集団生活の中に入って行く姿に成長を感じ

毎日感動しています。

 

バスを見送って

角を曲がって見えなくなるとき

朝は「よろしくお願いします」

帰りは「ありがとうございました」

心の中はそんな気持ちでいっぱいになります。

 

と書いていながら

バスの時間に

うっかり昼寝をしてしまい

 

インターホンで飛び起きて

玄関前に先生と娘が立っていた

という経験があります。

 

バスが来る時間に

寝落ちしないように気をつけます。