前夫の自死に向き合う 13

【人の不幸は蜜の味】

 

心を学べるような場所へ行ったこともありましたが

前夫のことは言い出せないことがほとんどで

解決しようとすること自体不可能なのかもしれない

と思ってどこかあきらめているところもありました。

 

約1年前、現在私が学んでいる先生が

講座を開かれることを知り、

最後の望みをかけるように学び始めたのが

今も続けている心の学びのスタートです。

 

先生は

「何が嫌だった?」

「本当はどうしてほしかった?」

と自分に聞いてみること

自分の感覚をちゃんと感じていくことが

大切なのだと仰います。

 

このように教えてくださる先生に出会えたのははじめてでした。

 

私の心の状態に合わせて

自分で向き合えるように伴走してもらえる

このような先生にはなかなか出会えないということは

理屈ではなく肌でわかる感覚がありました。

 

「10年以上経つのに今でも嫌な気持ちが蘇り

思い出す度に深く傷つく辛辣な言葉がある」

と相談したとき

先生はそれを

私が本音を言えないから

本音を言う人が出てくる

「投影」だと仰いました。

 

投影となったひとりについてです。

彼女には葬儀の連絡をする時に思い浮かばなかったので連絡はしていなかったのですが

彼女と私には共通の友達がいて、その子から聞いたと言ってお通夜に来てくれたのでした。

のちに彼女も

「夫を亡くしても全く悲しんでない」

と私を中傷している

というショックな事実を耳にすることになりました。

何も知らなかった私は、彼女から電話が来ると

私を心配してくれてるんだと思って

電話に出て話をしていました。

話をしていたというよりは

私にとっては彼女の質問に答える時間でした。

 

彼女は、私が夫を亡くしていると知りながら

倫理的にここには書けないような

プライベートなことを笑いながら私に質問するので

面白がられているようで不快でした。

電話を切ろうとしても答えに困る質問をし続けるので

嫌悪感が募っていきました。

 

ある日彼女に

「悲しすぎて涙が出せないこともあるんだよ」

とだけ伝えたことがありました。

彼女はうつむいて何も言いませんでした。

 

質問された私がどんな気持ちになるかよりも

自分の関心のほうが優位になって質問をする人は

彼女だけではありませんでした。

 

最後の会話はなんだったのか

亡くなる前の様子はどうだったのか

妊娠はしてないのか

何歳で亡くなったのか

誰が発見したのか

血圧はどれくらいだったのか

健康診断は受けていたのか

持病はあったのか

兄弟はいたのか

お兄さんは何で亡くなったのか

仕事はうまく行っていたのか

思い出は何か

 

当人は悪気はないのですが

せっかく連絡をもらっても

不幸話を聞きたいように見えてしまう方も少なくありませんでした。

 

「知りたい情報を得るための連絡はお断りします」

と、目上の方でもはっきり断るようにしていきました。

今振り返ると

このあたりから人間関係の断捨離が始まっていったような気がします。

 

「人の不幸は蜜の味」

という言葉を連想させるような人々の反応が

夫の死に派生して起こった、そんな感じがしました。

 

弔問のとき私に辛く当たってきた人は

お通夜でも辛く当たってきました。

それを見た人は

「あなたに殺されたって思ってるんだよ」

と言いました。

そう思っていなかったらできないような荒い態度。

この意見は辛辣だけど納得できました。

  

このような人たちが悪い人なのではなくて

 

私が本音を言わないことで

本音を言う人が現れる投影。

 

私が本音を言うことができていたら

見えてくる現実は変わっていたのかもしれません。

 

前夫の自死に向き合う 12

【見慣れた顔に安堵】

 

看護学校卒業と同時に入籍

はじめての土地、新しい職場

苗字も変わったばかり

慣れない環境の中で

突然の夫の死。

 

お通夜に一番最初に来てくれたのは

職場の同期でした。

私は30歳の新卒でしたので

同期といっても歳は10歳近く離れていますが

勘の良い子で

彼女はお葬式に使われるフレーズは使わず

普通に居てくれたのが救いでした。

 

お通夜が終わったあと看護学校の友達が

私のそばに来て一緒にいてくれました。

私を心配してくれているのが伝わってきて

切磋琢磨した見慣れた顔ぶれがあるだけで

ほっとできました。

 

お通夜の日はお義父さんとお義母さんと一緒に

そのまま葬儀場に宿泊しました。

私は夫が亡くなった日から

全く眠気が起こらず一睡もできていませんでした。

何日も覚醒し続けていたことを思うと

心のダメージは相当なものだったのだと思います。

 

出された食事も食べる気持ちには到底なれず

祭壇の前の棺のそばに椅子を置いて

目覚めることのない夫の顔を見ながら

朝までずっとそこに座り

告別式を迎えました。

 

朝、着付けとヘアセットをしてくれる人が来ました。

お義父さんが手配してくれたようで

お義母さんと一緒に

準備された喪服を着て髪をセットしてもらいました。

お金もかかったろうに

お義父さんもお義母さんも一切私に請求しませんでした。

 

告別式には元職場の先輩、

高校で出会い同じクラスで過ごした友達、

小中高が一緒の友達が来てくれました。

結婚式に来てもらう予定が

告別式になってしまいました。

 

先輩は臨月だったので

来なくていいですと伝えましたが

「そんなの関係ない!」と言って

大きなお腹で来てくれて

棺の中の夫にお花を添えてくれました。

お腹にいた赤ちゃんは2週間後に元気に生まれ

先輩似の美人なお姉さんになりました。

 

前夫の自死に向き合う 11

【お通夜】

 

創価学会には友人葬といって

僧侶ではなく創価学会員が導師となって法華経を読誦するという独自の形式があります。

お義父さんの采配で

受付も学会員の方たちで行ってくれるなど

葬儀に関することは全てお任せすることができました。

友人葬がどうゆうものなのかわからず

能動的に動くのも得意ではない私にとって

とてもありがたいことでした。

学会の方は驚くほど献身的です。

 

参列者で入信している人は導師と一緒に

「なんみょー」と唱えるので

場内は大合唱のようになっていました。

創価学会友人葬を知らない人にとっては

お葬式で突然合掌して声を出す人がいることは

驚く光景だろうなぁと思いました。

 

喪主だった私は

右側親族席の角、喪主の席に座りました。

葬儀場のスタッフの方が

「私が合図をしたら前に出てください。

  次の合図でお辞儀をして、お焼香に進みます」

と簡潔に丁寧に教えてくださいました。

 

「この合図で立つ、この合図でお辞儀」

式がはじまる前に

何度も私と練習をしてくだいました。

憔悴しきった私が

きちんと立ってお焼香に向かえるか

心配してくださったのだと思います。

 

練習してもらったように

私はスタッフの方の合図で席を立ち

前に出ることができました。

 

最後列は見えないほどたくさんの方が集まっていました。

このたくさんの方々、

私の家族、親戚、職場の同僚、上司、

気心の知れた看護学校の友達、

そして昨夜私に辛く当たった方々も

こうして駆けつけてくれたことを思うと

私のせいで申し訳ありません

という気持ちでいっぱいになり

お辞儀で下げた頭は

なかなか上げることができませんでした。

 

私は何度も泣きそうになりましたが

一粒でも涙を流してしまったら止まらなくなり

立っていることもできなくなる気がして

必死に涙を我慢しました。

この、人前で涙を流さなかったことが

「奥さんは悲しんでいない」

と言われるきっかけになりました。

そう感じたのは一部の人かも知れないけど

私にとっては世の中からそう言われているようで

さらに深い悲しみに覆われていきました。

 

世の中の人は

私が泣いている姿を想像し

想像と違うと非難して

想像通り私が泣いていたら承認するのかと

悲しみとも怒りとも言えない

何一つわかってもらえないという

孤独な気持ちになりました。

そして、人の心とはなんなのだろうと

今まで考えたこともなかったようなことに

疑問を抱くようになりました。

 

私の先生は

「本当はどうしてほしかった?」

と自分にきいてごらんと仰います。

 

本当はどうしてほしかったか…と考えてみると

泣いたか泣いてないか

悲しんでいるか悲しんでいないか

ではなくて

私は普通の精神状態ではなかった

ということを

わかってほしかったです。

 

前夫の自死と向き合う 10

自死について書くようになり

アクセスやリアクション

「読んでいます」「どっぷり浸かってるよ」

という心あたたまる声に支えられて

更新10回目を迎えられました。

 

私はあの時何が嫌だったのか

何を感じていたのかを

書ける範囲で、知られても良い範囲で

言葉にしていけたらと思って書き始めましたが

曖昧な表現にせずに嫌だったことを直視して

アウトプットしていけばしていくほど

辛いものが緩んで

自分が楽になっていくのを感じています。

 

ある程度オープンにしていく必要性を感じる一方で、個人や場所が特定されることのないように書いています。

 

 

【母が怖がった話】

 

これから書く話を

何気なく母にしたときとても怖がって

「やめてよそんなおっかない話」と怒られたので

書いていいものか迷いましたが

当時私が直感で感じたことなので書いてみます。

 

私は

入籍したら礼服を買わなきゃ

と思いました。

入籍したら近く不幸が起こる

それが誰なのかまではわかりませんでしたが

身内の誰かだと

そんな予感がしてなりませんでした。

 

休みの日に礼服を買いに行って

クローゼットにかけておきました。

友達にも

私「入籍したら礼服も買わないとだよね?」

友達「え〜?なんで礼服?」

私「必要になる気がするの」

こんな会話をしていました。

 

前夫の自死と向き合う 9

【生き返るかもしれない】

 

夫の遺体はお義父さんが手配してくれた葬儀屋さんの車に乗って

病院から実家に向かうことになり

私が付き添って同乗しました。

 

遺体を固定するすぐ横にひとつ座席があって

私はそこに座って20分くらい車に揺られました。

「これは現実なんだろうか」

「どうしてこんなことが起こってしまったんだろうか」

と考えながら

外の景色を見るような気力はなく

座席シートの模様をぼーっと見ていました。

実家に着くと夫の遺体は

お義母さんが敷いた布団へ運ばれました。

 

体の上には、こんなに必要なのかと思うほど

たくさんのドライアイスが乗せられて

その上に布団がかけられたので

体が2倍に膨らんだように見えました。

ドライアイスを体に乗せるなんて

生きている人にはしないことなので

やっぱり本当に死んでしまったんだと

生きている人にはしないようなことが目に入る度

胸が苦しくなりました。

 

「こんなに冷やされて冷たいだろうなぁ。

   でも必要なんだって。頑張ってね」

と心の中で声をかけました。

 

葬儀屋さんは

枕飾り(白い布が敷かれた小台などの上に

ろうそくや香炉などを置く)を設置して帰りました。

 

お義母さんがその小台に

ご飯にお箸を立てた、一膳飯を置きました。

お箸はご飯に立てているのに

私の胸に突き刺さってくるようで

一膳飯が視界に入ると辛くなり

直視できませんでした。 

 

夫の頬に私のチークを少し塗ってあげました。

顔色が良くなり、生きているように見えました。

このまま待っていたら生き返るんじゃないかと思いました。

 

お義母さんも

「いい眉してるよね〜」

と羨ましそうに言いました。

お義母さんも生きているのか死んでいるのか混沌としているように見えました。

 

その日はたくさんの方が弔問に訪れました。

葬儀の前に自宅にも足を運んでくださるということは

関係の深い方々なのだと理解できたものの

結婚式はまだ先の予定だったこともあり

私は面識のない方がほとんどでした。

訪れた方も弔問ではじめて妻(私)を知る、

という感じでした。

 

ご挨拶をしても無視をされたり

睨まれるだけだったり

怒ったような態度で私に辛く当たる人もいました。

「あなたのせいだ」「あなたが悪い」

と言われているようでした。

 

これが「投影」だと、のちに学ぶことになりますが

当時は崖から突き落とされるようなショックで

体が一気に虚脱していきました。

その方も辛い思いを抱えながら

ここに来ているのだろうと思い

私は丁寧に頭を下げ

帰りは姿が見えなくなるまで見送りました。

それが私にできる精一杯のことでした。

 

私は周囲のそうゆう態度が辛いだなんて

言ってはいけないと思いましたし

打ち明けられる人もいませんでした。

 

この日は夫の隣に布団を敷いて

私も一緒に北枕で横になりました。

もしかしたら生き返るかもしれない

そう願って目を閉じましたが

一睡もできないまま

朝を迎え

昨日と変わらない姿に

本当に死んだんだ

未亡人になったのは現実なんだと

突き付けられるものが大き過ぎて

胸の苦しみはどんどん大きくなっていきました。

 

前夫の自死に向き合う 8

【母の絶叫】

 

入籍してちょうど3ヶ月が経った朝

「おはよう」と一緒に起床してから数時間後に

私は未亡人になり

追い討ちをかけられるかのように、今度は

亡くなったことを連絡する

というタスクが訪れました。

 

脳出血で急死」と嘘のストーリーを話し

それを信じて言葉を失う人を目の当たりにする度に

私は詐欺師にでもなったような

自分が自分ではなくなっていくような

もはや人間ではなくなっていくような感覚に陥っていきました。

 

最も私を辛くさせたのは

私の母親の反応でした。

脳出血で急死したと伝えると

母は驚愕し受話器の向こうで絶叫し続けました。

あの理性を失ったような叫び声は

今でも耳に残っています。

 

「お母さん、大丈夫だからね。

   葬儀のことが決まったらまた連絡するからね」

と母を優しく励まし、電話を切りました。

 

子どもが悲しい状況に置かれた時

母親が先に落ち込んでしまうと

子は母を心配したり寄り添う側になって

悲しみを見せられなくなって

余計辛くなるのだと知りました。

 

悲しいときや挫折をしたとき

お母さんが落ち込まないでいてくれるだけで

子どもは安心して悲しむことができ

お母さんの心が本当に安定していたら

どんな言葉で励まそうかなどと悩まなくても

子どもは自分で立ち上がるような気がします。

 

前夫の自死に向き合う 7

【警察とのやりとり】

 

死亡確認に立会うことは仕事で度々経験していましたが

自分が遺族となって経験するのは初めてでした。

 

救急室のストレッチャーの上で死亡確認が行われた後、処置が終わるまで廊下で待つよう案内されて

救急室を出ると

いつの間に来ていたのか廊下には警察官が数人いて

私を待っていたようでした。

 

建物の裏側の駐車場に停まっていたパトカーの後部座席に誘導されました。

 

運転席と助手席に乗っていた警察官が

後部座席に乗った私に

「ご主人のもので間違いないですか?」と

夫のお財布と携帯電話を差し出しました。

 

受け取ったら死んだと認めるような気がして

受け取ったらもう二度と会えないような気がして

受け取るのが怖かった。

 

体が硬直している上に手まで震えてきてきて

「手が震えて…」

声にもならなかったと思うのですが

少しだけ開いた私の手の平に

お財布と携帯電話をそっと乗せてくれました。

 

「このあと家の中を見せてください」と言われて

警察がアパートに来ることになりました。

 

警察=部屋の隅々まで確認したり

テレビで見たような1とか2とか床に番号を置いたり

そんなことがはじまるのかなと頭の片隅によぎった記憶もありますが

思考はほとんど回っておらず、言われたことに従うために体を動かすのがやっとでした。

 

警察の方はリビングの真ん中あたりに立って部屋全体を見回すと、来た目的はそれで完了したようでした。

 

帰り際、警官の1人が私に声をかけてくれました。

「あなたは生きるんだよ」

 

私は頷くことしかできなかったと思いますが

唯一、支えにできた言葉でした。

 

ブログに書きはじめてみて

10年経つ今でもこんなに鮮明に覚えているとは自分でも驚きました。

この日の自分の服装まではっきりと覚えています。

書いていると、私は今

あの日のあの場所にいるのではないか

この現実の方が嘘なのではないかと錯覚するほど

見えた光景、人の表情、話した内容、

体のこわばった感覚までがありありと蘇ってきます。

とても怖いですが

それだけ強烈な体験だったのだと

書くことで少しずつ

出来事を客観視することができているような気がします。